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2022/12/07 14:15

南九州の歴史とロマンを伝える豪快な大鉄鍋

家族や友人と楽しむ鍋として鹿児島で長年親しまれるくろくまですが、実はもともとこの鍋は、ホテル&レジデンス南洲館の先代の時代に、海鮮鍋「熊襲鍋」として登場したものが、時を経て「くろくま」となったものなのです。「くろくま」の「くろ」は黒豚の黒、そして、「くま」は熊襲鍋の熊から来ています。

その熊襲鍋は、古事記や日本書紀に登場する、かつて南九州地域に居住した山海族「熊襲族」の物語からインスピレーションを得て生まれたものでした。熊襲族は鹿児島人のルーツであるとも考えられています。


熊襲鍋の起源となるエピソード

記紀によると、熊襲族は勇猛果敢で絶大な勢力を持ち、大和は南九州の統制に苦戦していました。

時の大和朝廷、景行天皇は、後にヤマトタケルとなる皇子、小確尊(オウスノミコト)を熊襲族征伐に遣わしました。オウスノミコトは御歳16才。眉目秀麗にして武勇に秀でた人物でした。

しかし、熊襲タケルを頭とする熊襲族は、力あくまでも強く、武力もっての征伐はなかなかの困難を強いられました。そんな時、熊襲族の頭であった熊襲兄弟の新築祝いが行われたのでした。

オウスノミコトは紅を差し、衣装を羽織り、女装し、その酒宴に紛れ込み、酔った熊襲タケルの兄を殺し、ついに熊襲族の征伐に成功したのでした...

この熊襲の祝宴に出された祝い鍋をイメージして作られたのが「熊襲鍋」でした。


50年物の貴重な大鉄鍋

そんなユニークな背景を持つくろくま鍋ですが、鍋自体の存在感も熊襲族の豪快なイメージに負けません。圧巻の直径60cm、重さ10kgにもなる大鉄鍋は、男性が抱えてもずしりと重たい! 更に、鍋は当時特注で作られたため、もう二度と同じものを作ることができません。そんな先代から大切に受け継がれてきた50年物の大鉄鍋ですが、現在8台を残すのみとなってしまいました。そんな貴重なくろくま鍋をぜひ現地で体験しにお越しください。

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